適当って難しい


ここんとこ嫁はんが仕事で多忙のため、『 晩飯の下準備をしときなさいっ 』ってメールが来る。亭主関白存続のため俊敏な対応を心がけてはいるつもりやけれど、これまでの人生で親の手伝いもせず一人暮らしの経験も無く、出された物をひたすら食う行為に専念してきた。早い話が「 料理が苦手 」。
それで何が困るかっちゅうと、


  『 えんどう豆、茹でといてー 』   「 何個ぐらい剥けばええのですか? 」  『 適当に 』
  『 煮物にダシを足しといてー 』    「 大さじ? 何杯いっときまひょ? 」  『 適当で 』


・・・・・・おーい。
ちょっと料理をかじっていればホホイのホイといけるのやろけど、ド素人にゃこれが難しいのだな。ともすれば煮物が超薄味自然風味へと変貌してしまうのやから。味見しつつ進めばよいと分かってちゃいるけど、冷えると味がカラリと変身したりしてタチが悪い。メール指導する方はいつも味見せず、それこそ適当に投入しつつちゃんとした味に仕上げるのやから更にタチが悪い。
「 適当 」って言葉、何気なく「 いいかげん 」のような意味合いで使ってるけど、適している・当たるって言葉がくっついて出来ている。んなもんで、それなりに的に命中させそれなりにキッチリと仕上げなあかん。間違ってもドボドボあれこれ投入して四川料理風激辛コッテリ系煮物など作り上げてはいけないのだ。


不思議なんは、これがカタカナに変わった瞬間に意味が激変すること。『 テキトー 』。醤油を大さじどころか瓶ごとドボドボ入れても許されそう。開き直りが感じられるこんな言葉で、次回からはご指導いただきたいのだ。ってことを言いたいがためにこんだけ適当に書けるたぁ、わしも慣れたものやで。